昭和15年1月 |
製薬業者の団結をはかるため、平坂茂市、横田東作氏等が設立
原材料欠乏のおり、製剤原材料の購入配給機関として活動 |
昭和19年1月 |
長崎県製薬株式会社へ改組。昭和17年の企業整備令のあおりを受け、甲種薬としてして出来たメンバーで会社とした。88品目の医薬品製造許可を得、長崎市新地町の工場にて製造を開始した。 |
昭和26年12月 |
長崎県製薬株式会社 解散
終戦後、企業整備令が廃止され、元発売元が製薬業を再開できるようになったため、解散した。 |
昭和28年9月 |
製薬業者8名で、原材料の共同仕入れを目的として、長崎県製薬協同組合を設立 |
昭和33年4月 |
製薬事業スタート。
厚生省よりだされた「製薬作業の充実、製品の向上及び管理の万全を期する法」のもと、設備投資できない製薬会社が大半だったため、共同施設での製薬事業を開始した。 |
昭和35年4月 |
長崎市本河内の民家を借り、製造認可を得、薬品製造スタートした。 |
昭和51年4月 |
土地、建物を買収し長崎県製薬協同組合の所有とした。 |
平成4年1月 |
鉄骨造2階建、製造施設延べ面積342m2、投資額5,323万円にて、同地に新工場落成 |