中国から漢方が日本に紹介されて既に1500年になろうとしています。中国から伝来するまでは祈祷師によるか、野山に自生するセンブリやゲンノショウコを採集して病気を治ていたのでしょう。
遣隋使や遣唐使により、漢方薬の種子や苗がもたらされ、我が国でも薬草の栽培がスタートし、また同じような薬草が日本の野山にも自生していないか探し求められました。
江戸時代に入ると、漢方薬と日本伝承民間薬とのそれぞれ良いところをミックスして誰でも手軽に服用できる安全な家庭薬を考案し、民衆の医療に貢献してきました。
「うっち薬」はちょうどそのころ生まれた家伝薬です。
江戸時代後期、水害が多発したことから、土木工事、開拓工事による石材作業に伴う打ち身、ねんざ、骨折などのけがが多く、また、稲作作業による神経障害、冷え性などの病気が多かったため、当時の御殿医が処方したり、大衆に愛用された薬が「打ち身のくすり」や「清血員」になります。これらが代々継承され昭和36年「うっち薬」を名をかえ現在に至っております。
|