貞包天心堂の創業は天和元年(1681年)であり、家伝には“観音大士の霊告に依り血の道薬・癇の薬・黄疸の薬を創製し希望者に施薬す。その間の沿革の記録大災の厄に遭い詳ならず。”とあります。私の家は天正18年(1590年)建立の西林寺という寺院ですが、天和元年第3世住職・宗誓の夢枕に観世音菩薩様が御立ちになって「こういう薬を作って民衆を救うように」と処方をお告げになり、これを機縁として貞包天心堂の創業・施薬が始まったそうです。戦前までは、‘血の道の薬〜天和湯‘’脳の薬〜安脳丸‘’黄疸の薬〜黄疸散‘癇の薬〜小児丸’‘胃腸の薬〜健胃退痛散’などを販売していました。その当時には今日のように医薬品が豊富には無かった事もあり愛飲する人が多く、往時は西林寺の庫裏の前には朝早くから薬を求める人の行列が出来、永く待ってもらう為お茶を振舞わなければならない程だったといい、また、遠くは中国やシンガポール辺りまで輸出され、現在のようなマスコミの無い時代に、その愛用者は国内は勿論外国にも大勢あって広く利用されていたそうです。昔はお産も自宅で産婆さんに来て貰って、というのが普通でしたから、産前産後の薬として‘天和湯’は特に需要が高かったと聞いております。
ところが、その原料の大部分が南方産だったため第2次世界大戦が始まると輸入していた原料が手に入らなくなり製造規模の縮小を余儀なくされ昭和19年7月長崎県製薬協同組合に統合されて廃業、戦後の昭和23年から再び営業を開始し天和湯・安脳丸の2つだけを販売、今日に至っています。
戦後の化学物質や抗生物質を中心とした新薬の氾濫時代に、なお生き続けてきたのは、やはり根強い愛用者があったからであろうと有難く思うことです。
天和湯は当帰、川しゃく、厚朴、香附子、あさぎ(こう)苓、榎椰子、人参、桂皮、大黄,甘草、橙皮、丁子、紅花、木花、の14種類の生薬から成り、それらが相互に助け合って中枢抑制作用,鎮静鎮痺作用、筋緩和作用、抗炎症作用、抗アレルギー作用、血圧効果作用、ストレス緩和作用、利尿作用、免疫賊活作用、などの様々な効果を発揮するものと思われます。千児薬は面倒という人も多いのですが天和湯は煎じることにより特有の効果が発揮されるようです。
天和湯は別名[血の道の薬]とも呼ばれます。血の道症とは更年期障害様症候群ともいわれ月経障害、自律神経失調、及び精神症状の3つが複雑に絡み合って起こります。本人は不快な思いをしているのに病院で診察を受けても器質的異常の所見は認められない為、自律神経失調症や更年期障害といった病名を付けられることが多いようです。また、これらの症状は生理や産前産後、閉経後や婦人科の手術の後などに特に顕著に現れます。天和湯服用することにより先の生薬の成分が穏やかに作用して不快な症状が徐々に軽くなり、やがて気にならなくなります。天和湯の効能は血の道症、感冒(引き風)、月経不順、ヒステリー、頭痛となっています。 |